Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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徒労の果て〜ドン・キホーテへのオマージュ
 日本の個人金融資産の50%に相当するおよそ900兆円を65歳以上の高齢者が所有していると今日付の新聞記事が伝えている。今後、1000兆円以上の資産が相続で子や孫に移動することが日本の経済活動に多大な影響を与えるというのである。
 周りの高齢者を見る限りはとてもそれほどの資産をもっていそうにはみえないところからすれば、おそらく高齢者階層にあっても格差は着実に進行していて、その資産900兆円の大半が一握りの老人の金庫に眠っているに違いない。 これでは景気が良くなるはずはない。
 かかる状況は戦後の日本が日本人としてのアイデンティティー(誇り)を失ってしまった一方で経済力の向上のみに勢力を傾注してきたという憂国の言を事実をもって裏打ちしているかのようである。昼夜を分かたぬ刻苦勉励をもって営々と蓄積してきた金融資産を使うこともなくただ金庫に眠らしておくしかないとは何たる徒労。
 ラ・マンチャの老騎士、ドン・キホーテが往年の誇りをとりもどして活躍の旅に出立したように、今こそ日本の老騎士にも立ち上がって欲しいのだが ・・・。
 以下の記載は第770回(2013.10.30)で描いたドン・キホーテへのオマージュである。
ドン・キホーテの一分
 スペインはラ・マンチャの老騎士が活躍する「ドン・キホーテの物語」は聖書の次に読まれている本であるという。1605年に前編が、1615年に後編が出版された。作者のセルバンテスは、あとのことはドン・キホーテに任せたというがごとくに1年後の1616年(満68歳)に没している。
 私は児童文学に登場したドン・キホーテを幼き日に読んだ記憶があるが、文学としてのドン・キホーテをいまだ読んだことがない。なぜか読む機会が与えられないのである。物語があまりにも知られているせいかもしれない。だがよく考えてみると、風車に向かって突進するドン・キホーテの姿しか浮かんでこないようでは、あるいは知っているつもりだけなのかもしれない。
 ともあれこの男がくりひろげる時代錯誤の物語にこれほどまでに惹かれるのはどうしたことであろう ・・。私はその不可思議な魅力に敬意を込めて「ドン・キホーテの一分」という一語をあてたい。「武士の一分」というあの「一分」である。あるいはキホーテは騎士であるから「ラストサムライ」にならって「最後の騎士」という称号もふさわしいかもしれない。
 いずれにしてもドン・キホーテが貫く「一分」は世間的には「どうでもいいようなもの」なのであろうが、人間的にはまったく「どうでもよくないもの」なのである。このアンビバレンツ(二律背反)は時代を越えて変わることがない。
 やむにやまれぬ「その一分」を老骨に背負ったドン・キホーテは、永遠の従卒サンチョ・パンサを引きつれ、月光に照らされた荒野の街道を馬上静かに歩みを進めて行く。いったい何処に向かうのであろうか ・・ 針金のようにやせ細ったその長いシルエットが影法師となって石畳に落ちている ・・・。
 かくして老騎士の誇りは少しも色あせることなく時空を超えて生き続けているのである。

2017.08.09


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