Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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ある思考実験から〜相対的宇宙と絶対的宇宙
 第1031回「貴方の宇宙と私の宇宙」では他我問題を題材にした思考実験について述べた。以下は高知大学理学部助教授、中込照明氏の著書「唯心論的物理学」で語られた「相対的宇宙と絶対的宇宙」についての思考実験である。
 その思考実験とは、ある種のコンピュータゲームである。例えば10人のゲーム者に各1台づつのコンピュータがそのゲームのために割り当てられている。ゲームは戦車を使った戦争ゲームであり、登場する10台の戦車の操作は割り当てられた10人のコンピュータに連動している。各コンピュータ画面には自分が搭乗する(例えばA)戦車の運転窓から眺められる戦場の様子が映し出されている。その構造は他の9人にも同様であり、ある人はBという戦車、ある人はCという戦車の運転窓から眺められる戦場の風景である。各人のコンピュータはネットワーク技術によりメインコンピュータにリンクされており、メインコンピュータのプログラムで集中制御されている。つまり、Aという戦車からBという戦車に発射された砲弾はCという戦車からもDという戦車からも同時に「そのように」眺められる。但し、それはCという戦車の位置から、そしてCという戦車の運転窓から眺められる風景である。同様にD戦車に対応したコンピュータもE戦車に対応したコンピュータも、ともに各自が搭乗する戦車の位置とその位置から眺められる戦場風景である。この状態で、各々戦車に搭乗している各自が生き延びるように戦車を運転操作し、砲弾を発射し、戦場での位置を移動し、仮想的な戦闘を行うのがこの「戦争ゲーム」の内容である。
 中込氏はこの各々の戦車の運転窓から眺められる戦場風景が「相対的宇宙」であるとする。しかして宇宙とは各々の戦車の運転窓から眺められる相対的宇宙が積層状態になっているのであって、唯一絶対である絶対的宇宙などは存在しないとする。絶対的宇宙とは「戦争ゲーム」における10台の戦車がくりひろげる戦場の全体的な俯瞰眺望風景であるが、そのような宇宙は存在しないとしたのである。
 この「思考実験」は多くの暗示的示唆を我々に与える。この実験で言う各々の戦車から眺められた戦場の相対的風景こそ、我々が日頃、ひとりひとりの人間として眺望する相対的な現実風景と同じものである。私が眺めるこの現実世界の風景は、私の位置から眺めた「私の相対的宇宙」であり、言うなれば「私の宇宙」であり、貴方が眺めるこの現実世界の風景は、あなたの位置から眺めた「貴方の相対的宇宙」であり、言うなれば「貴方の宇宙」である。
 10人の人間がいれば、10の位置から眺められる別々の10個の相対的宇宙が存在する。だが、我々は日頃そのような感覚をもつことはなく、唯一の絶対的宇宙に存在していると感じている。それは「戦争ゲーム」において、Aという戦車から発射された砲弾により、Bという戦車が破壊されることは、他のC、D、E ・・ 等々の戦車の搭乗者からも確かに目撃される共通の事実であるとともに、我々が日頃この現実世界で共有する体験的事実経験と一致するからに他ならない。
 第1031回「貴方の宇宙と私の宇宙」で提示した他我問題から導いた思考実験の中で、私は「貴方の心を知る方法がない」ばかりか、「貴方の存在さえ知る方法がない」ことを述べている。この帰結を換言すれば、私は「貴方の宇宙を知る方法も存在を確かめる方法もない」ということである。
 他方、中込氏が提示する戦争ゲームから導かれた思考実験の中で語られる「私が体験する相対的宇宙」とは、私の思考実験における「私の宇宙」であり、「貴方が体験する相対的宇宙」とは、同様に「貴方の宇宙」であることに他ならない。しかして中込氏の帰結である「各々の相対的宇宙が積層化した絶対的宇宙を俯瞰眺望することはできない」とは、私の帰結で換言すれば、ひとつの相対的宇宙である貴方が体験する「貴方の宇宙を知る方法も存在を確かめる方法もない」ということである。
 ふたつの思考実験のアプローチは異なるものの、行き着いた結論は同じである。だが両者にはまだ課題がのこされている。それは知る方法も確かめる方法もない貴方の宇宙と私の宇宙で構成されたかくなる宇宙であっても「何らも破綻することもなく無事に存在できるのは何ゆえか?」ということである。
ある思考実験から〜予定調和の構造(神の目) / 第1033回 に続く

2017.03.26


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