Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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選択肢の飽和〜ありすぎてわかんない
 「過ぎたるは及ばざるがごとし」という諺があるが、便利さを追求するあまり選択肢を増やしすぎるとかえって不便になってしまったという話である。
 最近は大型ショッピングセンタが雨後の竹の子のごとくにあちこちに立地する。そこにはありとあらゆる店舗が軒を連ね、ありとあらゆる商品が売られている。軒先を歩いてめぐるだけでも半日は終わってしまう。その途上「ありすぎてわかんね〜」という嘆息混じりの若者の声が背後から聞こえてきた。若者にしてこれでは熟年世代では途方に暮れるばかりである。
 「最近のビデオは複雑すぎて使えない」と憤りとともに私に訴えてきたとある社長(年齢65歳ほど)の言葉がふと脳裏に甦った。その次第は以下のごとくである。好きなゴルフのテレビ中継を観ていた社長がビデオに録画しようと録画ボタンを押すが録画できない。しかたなく奥さんを呼んで「何とかしてくれ」と言うものの奥さんもわからない。取説を取り出して二人であれこれ口論しているうちにその中継が終わってしまった ・・ 「あれは使えない」という、技術者であった私に発せられた抗議と提案であった。おそらく、そのビデオデッキは録画予約ができるもので予約を解除しなければ新たな録画はできないようなしろものであったのであろう。 遡る20年程も前の話である。
 その後かくなる利便性は自家用車、洗濯機、携帯電話、その他、あらゆる製品に波及し、取説の暑さは増加の一途をたどった。今ではその取説さえ読み切れず、便利(?)な付加機能は半分も使われない状況である。それらの操作を得意としていた若者でさえ「複雑すぎてわかんね〜」なのである。最良の伴侶を求めての「お見合い」も数を増やすと「いろいろあってわかんね〜」ということになる。
 個性の多様化に向けて選択肢は多ければ多いほうが顧客満足度は向上するとした戦略はもはや「臨界点」に達したのかもしれない。臨界点を超えた選択肢は顧客を満足させるどころか「迷わせるばかり」で「ひとつも」選べない。

2017.03.06


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