「知的所有権」と「知的財産権」は混同され、どちらも同じ意味として使用されているのが現状です。知的所有権は知的財産権としての「必要条件」ですが、必ずしも「十分条件」ではありません。知的所有権が必ずしも知的財産権である保証はないのです。
知的所有権とは、あくまでも新技術・新製品の「知的権利(特許権・意匠権・商標権等)」の所有権でしかありません。これらの知的権利は特許庁に特許出願し、従来にはなかった新たな「知的アイデア(新規性・進歩性要件)」であることが認められれば「権利化(特許査定)」され、特許料を払い込むことで、出願者の所有権となります。この所有権のことを、一般に知的所有権と呼んでいるわけです。
しかし、権利化された知的所有権の必要要件である新規性・進歩性が「資産」であるかどうかは不明です。特許庁は出願された知的アイデアが従来にない新たなアイデアであるかどうかを審査したのであって、不動産鑑定士と同様に、その知的アイデアの「資産的価値」を審査したわけではありません。
知的財産権とは、かかる新たな知的アイデアが知的所有権であるだけではなく、さらに資産的価値を付帯していなければならないのです。
以上の知的所有権と知的財産権の意味の混同を排し、その違いを充分に理解することが「知財立国」を標榜する日本においては、今何にも増して喫緊の重要課題です。
年間、特許庁には何十万件という特許出願がなされ、その内の何万件かが特許権として知的所有権化され、さらにその知的所有権の内で、資産的価値を付帯した知的財産権となるのは、僅か数パーセントの件数ではなかろうかと推察されます。
このように稀少な知的財産権を、年間数万件の知的所有権と混同させ、同様の意味で流通させていること自体が、現在、喧伝される「知的財産ビジネス」における最大の問題点なのです。
従って、研究開発者はこの知的所有権と知的財産権の意味の違いを充分に理解した上で、自身の新技術・新製品のポテンシャルを把握することが大切です。単に斬新な知的アイデアであるをもって、いたずらに「自画自賛」することは慎まなくてはいけません。
世で言う「町の発明家」が、いつの時代も貧乏な研究生活を余儀なくされることもまた知的財産権と知的所有権の意味を混同し、かかる知的アイデアを自画自賛するところに端を発しています。後人はそれを「他山の石」として同じ轍を踏んではなりません。
知的所有権は社会で実用に供されて「商権化」された時をもって知的財産権となるのであって、発明とはその「長い試練」を乗り越えたものであるということなのです。
|