Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
信州つれづれ紀行 / 時空の旅
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軽井沢高原文庫 / 長野県北佐久郡軽井沢町塩沢
のちの思いに
 日本の中の西洋と言われた軽井沢はまた多くの文人、作家に愛された地である。軽井沢高原文庫はかってあったであろう「彼らの思い」が何であったのかを知る「よすが」を今に伝えている。堀辰雄、堀に師事し若くして世を去った立原道造、室生犀星、生まれ出づる悩みに苦しんだ有島武郎、その有島が人妻、波多野秋子と情死した別荘「浄月庵」もまた旧軽井沢「三笠の地」からここに移築されている。
 思えば有島武郎、近衛文麿の面々が夫人同伴で収まった1枚の写真を見たのは、昨年4月に訪れた、軽井沢の鹿鳴館と呼ばれた「旧三笠ホテル」の晩餐室であった。さらに、悩める有島が師事したキリスト教者、内村鑑三が創った軽井沢「石の教会」を訪れたのは今年の2月であった。
 そして今日、訪れた高原文庫の庭は、雨に打たれた新緑の木々に包まれて森閑としている。その庭の片隅で、私は立原道造の詩「のちのおもひに」が刻まれた「ささやかな歌碑」を見いだした。軽井沢に住んだ辻邦生が急逝して、はや12年の歳月が経過しようとしている。悲報を聞いた刻、なぜか私は、氏の「西行花伝」を読んでいたのだが、そのときの心境を、知的冒険エッセイ「時空の旅」第257回「のちの思いに」で、以下のように書いている・・・(前略) 翌日の新聞記事にて、辻氏の最後の作品の表題が「のちの思いに」というものであり、それが氏と同様に軽井沢を深く愛した立原道造の詩の題名からのものであること、また氏がこの「のちの思いに」という表題を大変に気に入っていたこと等を知った (後略)・・・軽井沢の「いち時代」を画した彼らが、後世に託した「のちの思い」とはいかなるものであったのか・・・胸中いまだ漠として霧中に没している。
  のちのおもひに / 立原道造
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた
― そして私は
見て來たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた・・・・

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
2011.6

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