Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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華厳経に想う〜Pairpole宇宙モデルへの回帰
 華厳経は般若心経に比肩される大乗仏教における中心経典であり、「存在するものは すべて心の表れである」を本義とする。これは宇宙論物理学者、ジョン・アーチボルト・ウィーラーが言った「宇宙とは現象である」と同意であり、聖徳太子が言った「世間虚仮 唯仏是真」と同意であり、弘法大師、空海が言った「太始と太終の闇」と同意である。
 「一はすなわち一切であり 一切はすなわち一である」とする華厳経の教義は「細部は全体 全体は細部」という現代理論物理学が説く「フラクタル(入れ子)宇宙構造」である。それはまた日本を代表する哲学者、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の祖型であり、禅の思考法である「静中動あり 動中静あり」の元型である。また「万物は相互にその自己の中に一切の他者を含み 相互に関係しあい 円融無礙に旋回しあっている」とする華厳経の教義は物理学者、デビット・ボームが示した「目に見えるすべての明在系には宇宙の一切を統御する暗在系(宇宙の内蔵秩序)が含まれている」とする宇宙構造であり、これを一歩進めれば純粋密教における大日如来の存在とそれによる宇宙把握に至り、さらにもう一歩進めれば宇宙の密なる内面から方法さえ会得すれば無限の利益をひきだすことができるとする密教的実践へと転換される。
 かの千利休は「世の中のこと一杯のお茶にしかず」という一言をもって華厳の中核を貫いている。
 そして私は自ら構築した「Pairpole宇宙モデルの帰結」を以下のように結んだ。
 環状連鎖ウェーブコイルは群を成し宇宙空間に散在している。この風景はまた池の水を顕微鏡で覗いた時に見える風景でもある。大宇宙と小宇宙の区別はどこにもな く、細部は全体であり、全体は細部である。つまり、宇宙には大きさはなく、構造のみが存在するのである。我々自身が一杯のコップの水の中の宇宙に存在しているのか、池の水の中の宇宙に存在しているのか、はたまた大海の水の中の宇宙に存在しているのか特定することは永遠に不可能である。あれよりこれが大きいとか、小さいとか、遠いとか、近いとかのサイズの概念は我々人間が生活上の必要性から創った概念であり宇宙の概念としては適用できない。この人間が創ったサイズの概念が「宇宙の果て問題」を発生させた。つまり、宇宙の果てはどうなっているのかという問いである。この問いを解いた人は未だいない。それは大きさという概念をもってして考えるからであり、この概念を捨て去ればこの問題は難なく解ける。つまり、宇宙とは仕組みという概念であり、大きさという概念ではない。大きさという概念がなきところに宇宙の果という概念はもとから存在しないのである。この仕組みこそが宇宙の構造でありメカニズムである。この宇宙の仕組みがなぜにこのようなのかは、もはや神のみぞ知るところであろう ・・・。
 この宇宙モデルを思考した当時、私には華厳経に関する知識はなかった。今その帰結を読み返すとあたかも華厳世界の様相を描いているかのような既視感を覚える。
 さらにこの宇宙モデルを元型として開発された「ものづくりのための知的ツールシステム」はシステムを構成する個々の知的ツールが互いに「ホロニック」なネットワークで結ばれている。
 ホロニックとはどんな部分にも全体の動向がふくまれているような関係にあるひとつの「部分=全体系」のことである。本知的ツールシステムにおけるホロニックとはシステムを構成する個々の知的ツールに、システム全体がもつパフォーマンスが入れ子状に内蔵されているとともに、相互に連携していることを意味している。我々は部分(細部)と全体を同時に見ることはできないがホロニックなシステムでは両者の応変を同時にとらえることができるのである。
 本知的ツールシステムがもつこれらの構成と働きは、華厳経の教義「一はすなわち一切であり 一切はすなわち一である」の構成そのものであり、「万物は相互にその自己の中に一切の他者を含み 相互に関係しあい 円融無礙に旋回しあっている」の働きそのもである。
 これらの相似性は意図的に企画されたものでなく結果として現れたものである。いうなれば着想の時点ですでにして仕組まれていたものである。そしてそれはPairpole宇宙モデルの帰結である「宇宙とは仕組みである」という事実を如実に語っている。

2017.01.24

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