Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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美しい日本の私
 世界は混沌の様相を呈している。物事の先行きは予測不能となり過去の経験は役に立たない。こんなことは起きないと思っていた事が日常的に起こり、こんな倫理観は通らないと思っていた観念が日常的に通る社会が到来したのである。これを進歩と考えるのか退歩と考えるのかは人それぞれで判断が分かれるところであろう。非常識が常識になるのは歴史を通じて多く経験してきたことである。
 だが進歩は多くの大切なものを消滅させてきたこともまた確かな事実である。「美しい日本の私」とはノーベル文学賞を受賞した川端康成が1968年、ストックホルムで行われた受賞記念講演で用いた言葉である。はたして進歩はこの美しい日本の私をのこすことができるのであろうか?
※)美しい日本の私
 道元などの僧の和歌を引用しながら、「雪月花」に象徴される日本美の伝統、こまやかな美意識、万有が自在に通う空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙などの世界観のありようが流麗な文章でとらえられている。有無相通じる融道無磁の無の心が「一輪の花は百輪の花よりも花やかさを思はせる」という美の秘密を成立させているとする趣旨にスウェーデン・アカデミーの聴衆は深い感銘を受けた。朝日新聞では紙面に講演録を記載するにあたり、「雪月花に美の感動」、「無は心の宇宙」、「美の糧〜源氏物語」という三段階の小見出しを付けている。
 川端はストックホルムへ出発する前から講演の草稿執筆に取りかかり、12月3日に羽田を発つ時点で半分ほど書き上げたが、講演当日12日早朝もまだ執筆中であり、宿泊ホテルの部屋を訪ねた石浜恒夫に「やっと調子が出始めたところですよ」と述べて落ち着きはらっていたという。そのため昼に同時通訳をしなければならないエドワード・G・サイデンステッカーは翻訳を短い時間で苦心し居合わせたコペンハーゲン大学の仏教学者、藤吉慈海の助言を受けながら事なきを得た。川端は3日間ほとんど徹夜で書き上げ「作家はこれぐらいの徹夜はできるもんだ」と言いその出来に満足し上機嫌だったという。
 蛇足ではあるが、26年後の1994年に日本人で2人目のノーベル文学賞を授与された大江健三郎はその思想的背景から、この「美しい日本の私」を意識して、川端の姿勢に対して皮肉を込めた「あいまいな日本の私」という演題で講演したことは広く知られている。

2016.11.03


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