Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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死なばもろとも
 現代人は外なる物質世界(現象世界)を探求し開拓することにはきわめて熱心であるが、内なる精神世界(心象世界)を探求し開拓することにははなはだ不熱心である。
 それは物質世界が目でとらえられ手でさわれる存在であることに対し、精神世界が目でとらえられず手でもさわれない存在であることに関係している。 言うなれば目にも見えず手にも触れられない存在には「経済的な価値はない」とする理由である。
 だが有は無によって支えられていることを考えれば、それは人間存在における「大きな欠落」となる。その欠落の様相は「裏のない表だけの紙」、「夜のない昼だけの生活」、「失敗のない成功だけの人生」 ・・ 等々を想起すれば容易に了解されよう。
 また科学的合理主義をのみ存在の根拠と考える人には、最先端量子物理学が解明した「対消滅(※)」の現象を想起すれば、かかる欠落の様相は効果的に了解されよう。
 つまり、「存在」と「非存在」は「Pairpole」であって、片極だけでは存在たりえない。 両極が相まってはじめて存在たりえるのである。
 現代人がこの先もなお内なる精神世界の存在を軽んじ続け、外なる物質世界の存在をのみ重んじ続ければ、やがて人類は対消滅の危機に瀕することになる。ことは経済的な価値があるかないかなどという次元の問題ではないのである。 巷間、「死なばもろとも」という究極の捨て台詞もあるにはあるが、それが人類存亡の極言になってしまっては、あまりに芸がない。
(※)対消滅とは
 無からの有の発生過程は量子論物理学者ディラックが説明するところである。無から発生する有は「ペア粒子」と呼ばれる。ペア粒子は「電子(物質)」と「陽電子(反物質)」のペアで構成されており、この宇宙において単独(つまり、電子のみの状態、あるいは陽電子のみの状態)では存在することができない。生まれるのもペアであれば、消滅する時もまたペアなのである。ペア粒子の消滅は「対消滅」と呼ばれ、この時に光りを発する。 詳細は「無の存在意義 / 第296回」、「空間と物質 / 第428回」、「マヨラナ〜消えた天才物理学者を追う / 第773回」等々を参照。

2016.06.20


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