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未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事

知的冒険エッセイ / 時空の旅
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持続可能な社会とは〜何もしないということ
 近頃はしばしば「持続可能性」という言葉(概念)が脳裏をよぎる。 それは(人類と言っては大げさかもしれないが)人間にとって「最も大事なこと」とは何であろうかという問いから始まる。 問いは「それは生存することである」というごくあたりまえの帰結に行き着き、そのためには「持続可能な社会が必要である」とのこれまたあたりまえの前提条件を導き出す。
 では我々を取りまく現代社会は持続可能な社会なのであろうか ・・?
 歴史的観点から持続可能性を探れば、まず想起されるのは恐竜が地表を闊歩した時代であろう。この社会を仮に「恐竜社会」と名付ければ、恐竜社会は約2億3000万年前〜6500万年前に渡り、「約1億6500万年」持続した。 次なる人類の発祥には諸説あるが、最も遡っても、その発祥は600万年〜700万年前と言われる。 恐竜からすれば足下にも及ばない「新参者」である。
 その「人類社会」の持続を近視眼的観点で区分けすれば、狩猟採集を糧とした「縄文社会」の持続期間は「約1万2000年」、その後に続いた農耕を糧とした「弥生社会」から現代社会までの持続期間は「約2400年」である。
 持続が断たれた原因を探れば「恐竜社会」は地球に落下した「巨大隕石」であり、「縄文社会」は狩猟採集から農耕への「社会システムの変遷」である。
 弥生社会から現代社会までの社会システムの変遷は、しかと区切って考えることができないほどに激しく、展開は急である。 現代社会がこの先どのくらい持続可能なのかは誰も予想がつかない。 なぜなら社会の基となる「システムの系」が過去のどの社会と比較しても「事象に過敏」であり、それゆえに「不安定」であり、「脆弱」であるため、いつなんどき継続が断たれても不思議ではない状況下におかれているからである。
 さらに思考を進めると、「恐竜社会」や「縄文社会」を長期間に渡って継続させた理由が「何もしなかった」という単純明快な「一事」に尽きることに想到する。 他方、「現代社会」は「あらゆることを為してなおその持続に四苦八苦している」のが実情である。
 人類を生存させる社会の持続可能性とはいったい何であろうか ・・?
 経済を発展させることなのか ・・?
 国々を空爆することなのか ・・?
 はたまた ・・・?

2015.11.18


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