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未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事

知的冒険エッセイ / 時空の旅
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時代と風景
 「安井かずみの風景(第900回)」、「山口百恵の風景(第901回)」、「美空ひばりの風景(第902回)」とそれぞれ「風景」を表題に冠して書いた。「○○の時代」と冠するのが一般的であろうが、あえて風景としたのは、それぞれの風景が絵画のように切り取られた「場面」だったからである。
 時空は時間軸に平行な時間が継続する「連続の世界」と、時間軸に垂直な時間が断裂(時間0の)した「刹那の世界」で構成されている。とかく我々は時間が継続する「連続世界」を上位に置きたがるが、「記憶にのこる世界」とは意外にも時間が断裂した「刹那世界」なのである。
 「時代」とは時間が継続する連続世界であり、「場面(風景)」とは時間が断裂した刹那世界である。つまり、「記憶にのこる永遠性」とは、時間が断裂した刹那のワンカット、場面(風景)の中に象出しているのである。風景と題した所以は、実にここにある。かかる風景の中でこそ、人は永遠の生命に昇華し、生き続け、語り継がれていくのである。
 また時間が継続する「連続世界」は世界が水平的に連なった、言うなれば「広さ」の世界であり、他方、時間が断裂した「刹那世界」は世界が垂直的に重なった、言うなれば「深さ」の世界である。
 連続世界である時代から切り取られた刹那世界のワンカットである場面(風景)にはさまざまなものが重層して秘められているのである。であればその「珠玉のワンカット」を時代から抽出することは困難を極めるのではないかということになるがそんなことはない。いかなるワンカットを抽出しようが、その風景(場面)の中にはその人の「すべて」が含まれているのであって、宇宙の真理のごとき「素顔」がそこに象出しているのである。 だがその象出した素顔をいかに「描写」するかには多大な困難がともなう。

2015.10.21


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