Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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危うきに遊ぶ
 こころの不確定性が増大する社会の様相とはいかなるものか。より言えば「理と情」の不規則性が拡大する社会とはいかなるものか。それは「現代社会そのものである」と言ってしまえばそれまでである。
 問題はこころの不確定性が個々の生き方に与える影響であろう。現代人のこころの閉塞感は今や臨界点に近づきつつある。不確定なこころとは確たるよるべがないこころである。たとえれば浮き草のように波間に漂っているようなこころである。
 この世は「浮き世」と呼ばれるぐらいであるから、その不確定性はなにも今に始まったことでもないのかもしれない。巷間言われる「あしたはあしたの風が吹く」とする人生観がそれを追随する。また少し哲学的にはなるが、禅に「風鈴は虚空に架かる(第407回)」という偈がある。さらには随筆家、白洲正子は自らの著作に「名人は危うきに遊ぶ」という表題を冠した。
 これらの「こころもち」は「よるべなく漂うこころ」そのものを逆に確かなものとする「しなやかでしたたかなこころもち」である。
 それはまた消えかかってはいるが遥かな時空を貫いて敷島(注1)に引き継がれてきた「もののあわれ(注2)」に立脚した和のこころの源流そのものである。あるいはそのこころもちこそがかくなる閉塞感突破の妙手となるのかもしれない。
注1)大和国、日本
注2)平安時代の文学をとらえる上での文学理念(美的理念)。
 外界としての「もの」と感情としての「あわれ」が一致する所に生じた調和的な情趣の世界をいう。本居宣長が指摘したものであり、その極致が源氏物語であるとした。

2015.07.24


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