Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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時間を旅する
 松尾芭蕉が江戸時代初期、元禄時代に書いた紀行文「奥の細道」は以下のように始まる。

 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、春立てる霞の空に、白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸すうるより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風が別墅に移るに、草の戸も 住み替はる代ぞ 雛の家 表八句を庵の柱に掛け置く。

※「奥の細道」とは
 松尾芭蕉が弟子、河合曾良を連れた旅の記録であり、元禄 2年 3月 27日(1689年 5月 16日)に江戸を出発して、東北地方や北陸地方の名所旧跡を巡り、岐阜の大垣にまで行く旅程が記されている。江戸深川の採荼庵を出発したこの旅は、全行程が約 600里(2400 km)にも及び、かかった日数も約 150日間という長旅であった。元禄 4年(1691年)に江戸に帰りついてから 3年後(1694年)、すべてをやり遂げたかのように、俳聖と呼ばれた不世出の俳諧師はこの世を去っている。行年 50歳であった。

 かって私は 知的冒険エッセイ 第 426回 「人生と時空間」 で以下のように書いた。
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 人生は旅である。

 だが私は「空間を旅している」のだろうか・・?
 それとも「時間を旅している」のだろうか・・?

 空間だとすれば、私の人生の旅とは、私が歩き回った地球上の「行動面積」であるし、時間だとすれば、私が費やした五十数年間の「経過歳月」である。

 人生の旅が歩き回った面積と、費やした歳月から構成されているとするならば、人生とは「時空間そのもの」である。
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 知的冒険エッセイ 第 667回 「時は流れず」 では、我々が住む宇宙では、時間の流れはなく、光速度 (30万km / s) で何処へか飛行しているとした。

 芭蕉は「奥の細道」冒頭、旅立つ心境を「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」と、空間を旅するという常識的な表現を使わず、あえて「時間を旅する」と表現した。あるいは芭蕉もまた、この宇宙の「光速の旅」を直感的に理解していたのではなかったか、もちろん宇宙という言葉は「浮世」と言い換えられ、光速という言葉は「光陰」と言い換えられていたであろうが・・・。
2011.10.05

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