Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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向かうところ敵なし

 自分らしく生きるとは、自分に「正直に生きる」ということである。
 言ってみれば、実に簡単なことではあるが、これがなかなかに難しい。

 考えと行動を一致させる「知行合一」でさえ、実行できる人は、まったくの希少である。その結果は、巷間、「本音」と「建て前」と呼ばれる「知行不一致」の二重構造であり、この二重構造は、現代では、もはや常態と化し、社会通念としての確固たる地位を確立するに及んでいる。

 曰く、考えと行動は一致しないことが正常であり、一致するほうが異常である。

 本来、考えと行動は「不可分にして一体」であり、これを別々に分離してしまっては「心身の分離」を将来するは必定である。
 このような状態で、ノイローゼにならないことの方が、実は異常である。現代人は、かかる心身分離の状態で、破綻することなく「巧みに生きている」のであるから、よほどに奇特な才能に恵まれているに違いない。

 自分らしく生きることは、また「ありのままに生きる」ということである。
 ことさら自分を高く見せることも、佳く見せることもいらない。

 好い人でもないのに、好い人を演じることは、偽りであるとともに、不誠実でもある。

 人は自分自身に「ありのままに生きる」という「心身一如」の状況から遠ざかるにしたがって、生命力は低下していく。

 赤子が無限の生命エネルギに満たされ、しかして誰からも愛されるのは、あらゆる意図から離脱した、純真無垢な「ありのままの状態」にあるからに他ならない。

 幕末の英雄、坂本龍馬が誰からも愛された理由もまた、自分に素直に生きた、かかる「赤心」のなせる技であったであろう。

 同様に、映画の主人公「クロコダイル・ダンディ」が、「ダーティ・ハリー」が、「刑事ブリット」が・・・生命の輝きに溢れ、向かうところ敵なしのエネルギを発揮できる根源もまた、還元すれば、あらゆる虚飾を捨て去り、自分に素直に、しかして「ありのままに生きる」ところにある。

 人は「真我」にある限り「無敵」であり、おそれることは「何も無い」のである。

2006.4.21

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