Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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相場師

 相場師は「見切りのプロ」である。

 相場師はさまざまな商品における、掛け値なしの「実効的価値」を見切る。

 通常は株式相場や商品相場の世界で活躍する者を相場師と呼ぶが、広義には、戦国の世、群雄割拠した各地の勢力動向を冷静に観察し、いち早く次の主勢力につく戦国武将もまたある意味、相場師である。
 戦国武将の相場師としての「観察眼(見切り能力)」の優劣は、当時は直接的に一族郎党の命運を左右し、生死存亡にかかわる重大問題であった。

 一族郎党の生死存亡にかかわるような重大な見切り能力は、単に頭脳を鍛えた程度のことでは向上しない。
 眼光紙背に通ずというような鋭い観察眼は、人格そのものに備わるのであって、怠惰な生活に終始し、死魚のような眼をした者が、功利的な頭脳を、めまぐるしく働かせてみても、かかる観察眼は養成されることも、しかして見切り能力が向上することもない。

 外界における事の軽重を誤りなく公平に裁断するためには、その裁定をする主体である内界における己自身の精神の自律が人格として確立されていなければならないことは論ずるまでもないことであろう。それは祈祷師が祈祷をする前に、自らの身の穢れを洗い落とすために「沐浴斎戒(もくよくさいかい)」することと同義等価である。

 外界を裁定する己自身の人格養成を放置して、外界の成否にのみ一喜一憂する態度では、公平厳正な見切りなど到底不可能である。

 現代人が根本的に見失ってしまっていることとは、実は「このこと」である。

 結果、見切りを誤って窮地に足を踏み入れる者は後を絶たず、路頭に迷うこと日常茶飯事となる。

 真の相場師への道は、自身の人格を鍛えるところから始まるのであって、頭脳を鍛えることは、その後のことである・・・。

2005.4.27

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