Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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時空間の同一性
 時空間の同一性はいかにして保証されるのであろうか・・?
 私の1時間とあなたの1時間の同一性はいかに保証されるのであろうか・・?

 あなたの恋人と語らう1時間は5分間に感じられ、私の虫歯を治療する5分間は1時間に感じられる。この時、あなたの1時間と私の1時間は同一なのであろうか・・?

 入学試験における合否の判明時間は、志望校の門前に張り出された合格発表を直接見て結果を知る東京在住の受験生と、送達された合否通知で結果を知る地方在住の受験生とでは、東京時間と比較し地方時間の方が引き延ばされる。
 地方在住の受験生は合否通知が送達され開封するまで合否結果は判明せず、世界は決定していない。(量子論的解釈では波動方程式の波動関数が収縮していない状況を示す)
 一方、志望校の門前に張り出された合格発表を直接見て結果を知る東京在住の受験生は、「その瞬間に」、合否結果は判明し、世界は決定する。(同様に量子論的解釈では波動方程式の波動関数が収縮する状況を示す)

 地方世界にいる受験生は、東京世界にいる受験生の「その瞬間」よりも、合否通知が送達される時間だけ引き延ばされる。
 つまり、志望校の入学試験の合格、不合格の確定時間は東京と地方では同一性が保証されていない。

 シュレジンガーの波動理論によれば、宇宙は波動関数の収縮によって発現する。波動関数の収縮とは、つまりは宇宙を意識をもって「観測する(知る)」ことに起因する。
 宇宙は時間と空間で構成された世界(時空間)であり、その時間と空間は分離不可分の一体的存在である。つまり、時間が空間を連れて来るとも言えるし、また空間が時間を連れて来るとも言える。

 シュレジンガーの波動理論からすれば、時空間は宇宙を「観測する(知る)」ことによって発現する。

 恋人と語らう時間は「二人の世界」に意識が埋没しているがゆえに、つまり、周りの宇宙を観測しないがゆえに、意識が埋没せずに、つまり、周りの宇宙を次々に観測する「二人の世界」以外の人々の世界よりも、時間はゆっくり経過する。
 従って、周りの人々の時間が1時間経過したとき、幸せな彼等の時間は5分間しか経過していない。だが幸せな彼等も、意識の埋没から「ふと我にかえり」、周りの宇宙を観測した「瞬間に」、二人の世界は、いっきに周りの宇宙に同化収縮し、周りの宇宙時間に一致、「あー、もうこんなに時間が経ってしまった」ということになる。

 虫歯治療に要する時間は意識が鋭敏になり、その治療世界を微にいり細にいり、くまなく観測するため、周りの人々の時間よりも速く経過する。
 従って、周りの人々の世界では時間が5分間経過しただけなのに、虫歯治療の私の世界では1時間経過する。だが過酷な虫歯治療が終了し、鋭敏な意識集中から解放された「瞬間に」、私の虫歯治療の宇宙は、いっきに周りの宇宙に同化収縮し、周りの宇宙時間に一致、「えー、まだこれしか時間が経っていないの」ということになる。

 以上の論考は、「浦島太郎伝説」の寓話の構造をうまく説明する。

 浦島太郎は助けた亀に連れられて竜宮城に行く・・。前述の恋人と語らう時間の経過と同様、あまりに楽しい竜宮城での時間は周りの時間よりゆっくり経過する。もちろん浦島太郎は海底の竜宮城宇宙にいるのであるから、太郎が生まれ育った地上宇宙は観測不能の状態におかれている。
 やがて、楽しき竜宮城宇宙にも飽きた太郎は「ふと我にかえり」、もとの地上宇宙に帰ろうとする。乙姫さまに別れを告げ、太郎は再びもとの海岸に帰着するが、この時点ではまだ太郎の時間は、周りの宇宙時間に対して遅れており、いまだ太郎は青年のままである。
 しかし、海岸で遊ぶ子供らの話を聞くうちに、太郎の両親、友だちが、とうの昔に死んでしまっていることを「観測する(知る)」。この観測という行為そのものが、太郎が「玉手箱を開けるという行為」に他ならないのである。
 周りの宇宙を「観測した(知った)」太郎の時間は「瞬間に」、周りの宇宙時間に一致、そのとたんに、太郎自身の体も、いっきに年老いて老人となってしまったのである。
 寓話では竜宮城の乙姫さまからもらった玉手箱に仕掛けがあり、あたかも玉手箱を開けたことが、太郎が年老いてしまう原因のようになっているが、量子論的な宇宙発現の過程を説明するシュレジンガーの波動理論で解釈すれば、意識的観測により、波動方程式の波動関数が収縮し、宇宙が「たったひとつの宇宙」に収縮した状況を描写しているのである。

 浦島寓話の意味するところは、意識の所有者である人間はすべてが「浦島太郎」であるとする点である。ひとつの意識あるところには、ひとつの宇宙(時空間・世界)が在ることを意味する。
 それぞれの意識による個別の宇宙がそこかしこに在り、その個別宇宙の集合体(換言すれば、個別意識の集合体)こそが、全体宇宙を構成していることを意味する。

 我々は「ふと我にかえり」、個別意識により、周りに存在する「全体宇宙を観測する(知る)」ことにより、個別宇宙の時空間から全体宇宙の時空間に同一化を果たしているのである。
 つまり、時空間は個別の意識者の態様によって、「常に伸縮している」のである。また、この「個別意識の集合体」こそ、心理学者ユングの提唱した「集団的無意識」に他ならない。

 アインシュタインの相対性理論は重力場の宇宙を記述したものであるが、重力場の強弱により、時空間が異なることを述べている。(時間の伸縮、空間の湾曲等)
 宇宙の重力場は質量の偏在により場の強弱が不均一であるから、宇宙のそこかしこで、時間は伸縮し、空間は湾曲していることになる。つまり、個別質量世界では、時空間が異なった個別宇宙を構成しているのである。
 この個別質量世界を個別意識世界と還元すれば、アインシュタインが嫌った量子論的な宇宙構造と彼の構築した相対論的な宇宙構造とは、同じ構造を意味していることになる。

 相対論が提示する、光速ロケットに搭乗し、宇宙の彼方へ旅立った旅行者は、歳をとらないという話は、前述の浦島太郎伝説の寓話の構造と同じであり、地球に帰還した旅行者が、太郎と同様に地球世界を観測した「瞬間に」、地球時間に同化一致し、いっきに年老いてしまうであろうこともまた予測されるのである。

 宇宙は個別宇宙の集合体であり、各々の個別宇宙では時間も空間も同一性は保証されていない。しかしながら、各々の個別宇宙を観測した瞬間に、時間と空間は即座に一致し、同一性が保証される構造をもっている。

 つまり、時空間の同一性は、宇宙の局所では保証されていないが、宇宙全体ではしっかりと保証されているのである・・。

2004.2.03

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