Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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ゆらぎと遊び
 宇宙のゆらぎと波動方程式は如何なる関係をもつのであろうか・・?

 波動方程式で、未来は波動関数の収縮として述べられ、波動関数の収縮とは、観測問題を意味する。

 宇宙は、ある事象が観測される前において、あらゆる可能性を試そうとしていが、ある事象が観測されるや、その可能性は消滅し、観測された「ただひとつの宇宙」に収縮し、ともなったひとつの現実世界が実在化する。

 ある人が私を観測する前において、私自身は松本市一円に広がっており、どこにも居て、かつどこにも居ない。しかし、ある所、例えば松本の駅前で私が観測されるやいなや、松本市一円に広がっていた私はたったひとつ、つまり、松本の駅前に私が居る宇宙に収縮し、固定されるのである。このような観測こそ、量子論で最重要問題とされる「観測問題」である。

 さらに、この現実世界実在化の状況を、物質が付帯する波動性と粒子性の二重性において考えると以下のようになる。

 物質の二重性は同時には観測できない。それは紙の表裏のようなものであり、表と裏を同時には見られないのと同じである。その紙のある面を表と観測した瞬間に、裏は消失してしまい、またある面を裏と観測した瞬間に、表は消失してしまう。
 つまり、私が観測される前の松本市一円に広がっている私とは、私の裏側(例えて言えば波動性)であり、松本の駅前で観測された後の可能性が消失して、たったひとつの現実に収縮した私とは、私の表側(例えて言えば粒子性)である。波動性として広がった私と、粒子性としてひとつの現実に収縮した私を、同時には観測できない。

 ゆらぎは、この私が観測される前の松本市一円に広がった波動性と、松本の駅前で観測された後に粒子性に収縮する刹那の空間、つまり、波動性と粒子性の狭間の空間に発現する。波動性と粒子性は「Pairpole」であり、Pairpoleの狭間とは、宇宙の対称性が破れている特殊な空間である。

 ゆらぎは、宇宙の根源的法則である絶対的対称性(Pairpole)が破れている「Pairpoleの狭間」に発現する。
 Pairpoleの狭間とは、波動性と粒子性の狭間であり、暗在系と明在系の狭間であり、全体宇宙と現実宇宙の狭間であり、過去と未来の狭間であり、有と無の狭間であり、・・狭間である。

 つまり、ゆらぎとは、「宇宙の静特性」である絶対的対称性が崩れ、その対称性の破れようとする刹那空間に発現する「宇宙の動特性」であると言うことができる。

 この宇宙の動特性を、より解りやすく表現すれば、新たな万物事象が発生する際に、宇宙がみせる「戸惑い」のようなものであり、「よろめき」のようなものである。

 またメカニズムには「遊び」が不可欠である。自動車を例にしても、遊びが無いハンドルでは、怖くて高速道路上を高速で車を走らすことはできない。走行する車は進行方向に対して、左右にゆらいでいるのであり、そのゆらぎに対応して安全に車を走行させるためには、このハンドルの遊びが、必要不可欠なのである。

 結局、ゆらぎとは、全体宇宙から現実宇宙が発生する際に顕れる「宇宙の戸惑い」であり、「宇宙のよろめき」であり、確たるものと確たるものの狭間に顕れる「宇宙の遊び」である。こう考えると、宇宙も我々人間と何ら変ることがない。

2003.7.07

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