Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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宇宙的主体性
 暗在系である全体宇宙としての可能性の海から、明在系である現実宇宙に実在化した人間は、自己意識を付帯し、その自己意識によって、自己と他者を識別する。

 この識別は、「あれ」と「これ」という基本的識別意識から発生し、「自己存在」を創造する。

 「これ」から見ると、これ以外は「あれ」であり、これ以外の「あれ」から見ると、当初の「これ」も、また「あれ」である。我々は自身である「これ」から、「あれ」を考えるが、これとあれは「ペアポール」であり、「あれ」がなければ、「これ」もなく、「これ」がなければ、「あれ」もない。

 つまり、あれとこれは「相対的」であり、それ自身では、それを説明することができない。

 現代人は、以上のあれとこれの「発生の構図」、「相対性の構図」を忘却し、私自身という「これ」という視点からしか、「あれ」を考えないという、現実世界把握における、一方的で片手落ちな「迷妄の道筋」に、踏込んでしまったのである。

 「これ」から「あれ」を考えるとは、日常的に言えば「世間体を考える」ことであり、「人のふり見て、我がふり直せ」ということであるが、この現実把握の方法は、私自身という「これの主体性」を、「あれの基準」から考えるという、「あれの従属性」に置き換えてしまう。つまり、「灯台もと暗し」の構図である。

 しかして、現実世界に実在化した現代人は、いつも他者評価を気にして、キョロキョロと周りを見回すだけの存在に化し、私自身という「これ」について、何ら考えなくなる。
 またこれが最悪のことなのだが、「あれ」からの他者評価が良好だと、自身である「これ」の内実が不良であっても、自ら何ら改善することが為されない。より簡潔に言えば、自身である「これの内実」を偽ってしまう。

 しかし、私自身とは「これ」なのであるから、これの内実を偽ってしまったのでは、これの主体性など、永遠に確立することはできない。つまり、「これの主体性」は、「あれの基準」である他者評価によっては、けして確立されることはない。

 現代人が主張する主体性の多くは、このような「あれの基準」によって構築された、「偽善的主体性」である。
 主体性を自認する多くの教養人は、このような偽善的主体性で、おのが身体を飾り立て、本当に「そのようなこと」を考えているのか疑わしいような主張を繰り返す。

 「これの主体性」とは、これ自身に忠実な、「これの基準」によって構築される「絶対的主体性」なのであり、「あれ」の他者評価で、右に左に、ぐらぐらと揺らぐようなものではない。

 「絶対的主体性」を確立しようとすれば、何よりも「これ」である自分自身を偽ってはならないのである。「あれ」である他者が、見ていようが見ていまいが、そんなことに関係なく、「これ」である「自身の心」に、忠実に、真摯に対応しなければならない。

 「我かく思う、我かく考える、ゆえに我あり」という、現実世界把握の道筋こそが、「これの主体性」を確立するのである。

 このような「絶対的主体性」を確立した「これ」にとっては、「あれ」が集団化した社会の中にあっても、また「あれ」が存在しない山中にあっても、ともに、「これの主体性」は揺らぐことなく確保され、保証される。

 現代人が山中での、「個の生活」ができなくなってしまった原因は、このような「これの主体性」を喪失し、あれを基準とした「従属的主体性」を、「これの主体性」と考えてしまったところにあるのかもしれない。

 お釈迦さまが、生まれおちるやいなや言ったという、「天上天下唯我独尊」とは、究極の「これの主体性」であろう。

 「自分を偽らない」ことこそが、「絶対的主体性」の前提であるが、しかるに現代人はどうであろうか・・?
 自身の「心の内実」は偽りだらけ、その偽りを、さまざまな化粧で覆い隠し、世間体を取繕い、ニコニコと微笑んでいるだけではないだろうか・・?

 このような「偽善的主体性」に、現代人が留まる限り、人間にとっての「真の充足感」は永遠に訪れないであろう。それどころか、やがては、その偽善性ゆえに、自己崩壊の道を辿ることになる。

 全体宇宙から、この現実世界に実在化した人間にとって、「我思う」という「これの主体性」から発生する自己意識こそが、「存在(有)と非存在(無)の狭間」で明滅し、ゆらいでいる現実世界としての「刹那宇宙」に同化する唯一の道であろう。
 宇宙に同化した自己意識は、暗在系である全体宇宙としての可能性の海から、明在系である現実世界へ、あらゆる万物事象を実在化させる「打ち出の小槌」として機能し、また光り輝く刹那宇宙の眺望を可能にする「真眼」として機能する。

 かく見れば、宇宙とは、かように豊饒であり、また魅力に満ちた「曼陀羅の世界」なのである。

2003.6.30

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