Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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life style と相対性
 個々の 「only one life style」 が、人間がこの世で構築する唯一の価値であるとするならば、我々が日常、他者に為す「助言」、「諫言」、「箴言」はいったいどのような意味をもつのであろうか。

 「only one life style」 からすれば、それらはすべて「余計なおせっかい」となるのではないのか。「only one life style」 は、個々人がもつ、別々の主体的価値観から構築されるのであり、受動的価値観からは生まれない。
 もし 「only one life style」 に対して、他者が為しえることがあるとするならば、それは自己以外の 「only one life style」 に対する「理解と寛容」である。より簡潔に言えば、他者の 「only one life style」 を認めることである。

 個々人の 「only one life style」 が自己と異なるからといって、それを否定することは誤りである。人類の抗争の多くが、主義主張(イデオロギー)の異なりに起因したことは歴史的事実である。他者の 「only one life style」 を認めずに、否定するところから発生するのである。
 その主義主張の異なりとは、民族風習の異なりであり、宗教文化の異なりであり、肌の色の異なりであり・・等々である。これらの異なりを否定し、抹殺しようとする試みは、この世に 「number one life style」 の存在しか認めないことに他ならない。 許される存在者は排他的な「一者」のみである。

 宇宙的存在が唯一絶対の一個だけであった場合、その存在意味を確定することができないことは、知的ツール「Pairpole」の帰結である。
 この宇宙に唯一絶対の一個の存在しかなかった場合、その一個の周りに、空間や時間(時空間:宇宙)が存在するか否か、確定することができない。確定するためには、少なくとも2個以上の存在が必要であり、その2個の存在の位置と関係によって、初めて空間や時間の概念が生まれるのである。

 換言すれば「宇宙とは、存在相互の位置関係」と言うことができる。さらに言えば「宇宙とは、この世に現在存在する、無限数に及ぶ存在相互の位置関係の総体」と還元される。

 アインシュタイン博士が発見した「光速度を基準」にした、「相対性理論」の根本認識もまた「存在(物質)相互の位置関係」である。

 つまり、相対性の認識には、2個以上の存在が「必要不可欠」である。

 善悪と言えども、善の基準は悪によって規定され、悪の基準は善によって規定されるのであり、この世に唯一絶対の一個の善しか存在しないならば、善とはいかなるものか、我々の人間意識は意味を確定することができないのである。

 「only one life style」 とは 「相対的 life style」 なのであり、前述の宇宙記述は「宇宙とは、この世に現在存在する、無限数に及ぶ意識相互の 「only one life style」 の位置関係の総体」と換言される。

 従って、互いの主義主張の異なりこそが、我々人間がこの世に存在する「存在理由」でもある。つまり、「only one life style」 の 「相対的 life style」 を認め、許容することこそ、この宇宙で、人間が存在する「実存の証」である。

 「number one life style」 の 「絶対的 life style」 を目指すことは、人間自らが、この宇宙での自己存在を抹殺することに他ならない。もしも、人類が 「絶対的 number one life style」 を目指すならば、「相対的 only one life style」 の周りに存在していた、光に満ちあふれた曼陀羅世界は消滅し、代わって、限りなく深い、永遠の暗黒世界が訪れることになろう。

2003.5.26

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