Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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光と意識 (二)
 宇宙は暗黒である。

 その暗黒に存在する物質である恒星が核エネルギ反応によって燃えることにより「光り」が暗黒の宇宙に放射される。

 この恒星の光により我々は宇宙の構造を眺めることができるのである。

 地球に一番近い恒星は太陽であり、この太陽の放射する光により地球は照らされ、地球人である我々はさまざまな万物事象を目にすることができ、かくこのように地球上の自然界を自覚しているのである。

 物質は「波動性」と「粒子性」という「2つの性質」を所有している。

 2つの相の分岐点は振動数により、振動数が高いと波動性は消え粒子性が顕れ、振動数が低いと粒子性は消え波動性が顕れる。

 振動はエネルギであり、その振動は物質の質量に変換される。

 質量が大きいとは高エネルギを所有していることであり、つまりは高振動であるから粒子性が顕現する。逆に質量が小さいとは低エネルギであることであり、つまりは低振動であるから波動性が顕現する。

 これを解りやすく述べれば、原子より質量が小さい量子レベルでは波動性が顕れ、野球ボール程度の質量レベルでは粒子性が顕れると言うことである。
 人間において述べるならば、人間全体の質量レベルでは粒子性が顕れ、その人間全体を構成している細胞レベルの質量の局所では波動性が顕れると言うことである。

 物質の粒子性とは壁にボールを投げれば壁にぶつかったボールが跳ね返って来るごとき性質であり、物質の波動性とは石を池に投げれば水面に波が広がるごとき性質である。

 物質が粒子性をおびている状態では物質は「空間のある点に存在」しており、波動性をおびている状態では物質は「空間全体に広がって存在」している。

 物質が波動性をおびて波のように空間全体に広がっている状態は注目に値する。この状態では物質は干渉、増幅、減衰など波動の特徴的な性質を発現し、粒子性のごとく投げたボールが壁で跳ね返されるのではなく、壁の向こう側に回り込むことができる。

 我々人間もまた物質であることには違いなく、この2つの性質をおびている。人間の全体像としては粒子性をおび、この宇宙空間の地球上のある点に存在しているが、同時にその人間の全体像を構成している局所粒子はこの宇宙空間全体に波のごとく広がっている。

 光もまた物質であり、量子論では光量子という質量単位で語られる。

 光量子は粒子性と波動性の2つの性質をもっているため、ある時は粒子としてとらえられ、ある時は波動としてとらえられる。

 その光量子によって我々の目に捕捉された万物事象の明暗や色彩は振動エネルギに変換される。明るい色ほど振動数は高く高エネルギをもつ。ゆえに我々は明るい色を見ると何かしら気分まで明るく感じ元気になる。

 これを物理学的に述べれば、明るい色という高エネルギをもつ光量子が人間の目という受光部から視神経という伝達回路を経て、脳細胞の局所に「高振動エネルギ」が伝達され、伝えられた高振動エネルギが、気分が明るくなり元気になるという「意識昂揚振動エネルギ」に変換されると仮説される。
 この仮説は人間が想起する意識と光との強い関連性を示唆する。この暗示は次の等価式を想起させる。

                          意識=光

 光を手の中にとらえることができないように、意識もまたとらえられない。

 集中した意識は粒子性をおびて空間の1点に位置しているように思われ、ぼんやりした意識は波動性をおびて空間全体に広がっているように思われる。

 この感覚はまた光の粒子性と波動性と等価であり、宇宙自然界の光で彩なされた自然風景はまた、意識で彩なされた自然風景と等価であるように観える。

 集中した意識が粒子性をおびるとは「意識の指向性」を述べていることに他ならない。

 それは物理的音波をキャッチするマイクの指向性と等価である。ある方向の音は有効にキャッチするが別の方向からの音は有効にキャッチしないという指向性である。

 意識の粒子性とはある物事を集中して「考える」という意識姿勢であり、意識の波動性とは物事をぼんやりと「思う」という意識姿勢である。

 考えるという意識粒子性は意識を宇宙空間のある点に留まらせ、思うという意識波動性は意識を宇宙空間全体に拡散させる。

 我々がしっかりと眺め光の焦点を結んだ自然風景とは粒子性世界であり、ぼんやりと眺め光の焦点が結ばれていない自然風景とは波動性世界である。

 この「ぼんやり」、「しっかり」とは光の描写ではなく、多く意識の描写である。ぼんやりとは無意識的(潜在意識的)であり、しっかりとは意識的(顕在意識的)である。

 光と意識は密接に相関を成し、渾然一体となって宇宙空間に放射されている。

 我々の「思いの意識構造」は波動性として無意識的に宇宙全域に広がり宇宙の「背景風景」を構成し、我々の「考える意識構造」は粒子性として意識的に宇宙のある点に留まりその宇宙の背景風景の中に「個別風景」を構成する。

 孤高の日本画家、田中一村が言った「神は暗と明の間に居る」という直観の意味はこの光と意識の粒子性と波動性によって解き明かされる。

 これを整理すると以下のようになる。

       夜(暗)   →   朝    →    昼(明)   →   夕    →   夜(暗)
      過去・未来      混沌        現在        混沌       過去・未来
         ↓         ↓          ↓         ↓           ↓
       波動性     (意識集中)     粒子性    (意識拡散)      波動性
         ↓         ↓          ↓         ↓           ↓
      宇宙全体      (抽出)      宇宙細部     (没入)      宇宙全体
         ↓                   ↓                    ↓
       背景風景              個別風景                背景風景
         ↓                   ↓                    ↓
      唯識的抽象             唯物的具象               唯識的抽象

 この表はまた過去・未来という暗在系(虚空間)から現在という明在系(実空間)が意識作用によって象出する態様を示している。同時にまた「意識が物質を発生させる」という主張に力を与える暗示に富んでいる。

2002.10.30

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