Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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自力と他力
 近ごろ「自力」、「他力」という言葉がよく使われる。

 これは小説家、五木寛之氏の蓮如を題材にした作品に影響された観がある。自力は「自力本願」、他力は「他力本願」という仏教哲理から発生している。

 他力本願思想の始めは浄土宗を創始した法然である。その教えは、その弟子親鸞に伝えられ浄土真宗となる。さらに400年を経た戦国時代に蓮如が現れ、親鸞の教えを再興し、門徒宗という強大な宗教勢力に興隆させた。これらの経過の中で他力思想は高められ信仰の地位が確定したのである。

 他力とは、「外的存在によって」そのものが、そのように存在しているとする考えであり、自力とは、「外的存在によることなく」そのものが、そのように存在しているとする考えである。

 他力本願とは、この外的存在を信じそれに帰依することである。生きとし生けるもの、もの皆すべて、悪人さえもこの外的な他力の力によって存在している。
 「善人救われる、いわんや悪人をや」という思想である。

 法然、親鸞、蓮如等の浄土宗や浄土真宗では「南無阿弥陀仏という念仏」を唱えることでこの外的存在に帰依することが可能であるとする。南無阿弥陀仏という念仏は、言うなれば他力帰依への「呪文」であり、「真言(マントラ)」である。この念仏を唱えることにより人は救済されるのである。

 この自力、他力の思想を物理学的に述べると以下のごとくなる。

 自力とは「因果律認識を基本とする分析を手法とする」科学思想であり、他力とは「超因果律認識を基本とする統合を手法とする」科学思想である。

 前者はニュートンの運動法則、アインシュタインの相対論、ダーウィンの進化論、フロイトの心理学等の学説が根拠となり、後者はボーアの量子論、イリヤ・プリゴジンの自己組織化、ユングの心理学等の学説が根拠となる。

 私の言う「Pairpole宇宙モデル」で述べると、前者は時間軸に添った「因果律的連続宇宙の構造」であり、後者は時間軸に垂直な「超因果律的刹那宇宙の構造」である。

 我々は一見すると因果が成立する連続宇宙のみに存在しているように考えられるが、その連続宇宙の断面である因果が成立しない現在という刹那宇宙に存在していることを忘れてはならない。

 この世のいかなる人も「現在」という今においての原因が、将来に現れるであろう「未来」という先の結果を断定できない。

 我々が存在する現在という実在場はこの2つの宇宙が混在したものであり、因果律的連続宇宙の出来事は、いつも「必然」という言葉で語られ、超因果律的刹那宇宙の出来事は、いつも「偶然」という言葉で語られる。

 我々はこの「必然」と「偶然」を適当に使い分けているが、この使い分けの根拠は「時間の経過」に還元される。

 時間が経過することにより、あらゆる偶然はやがて必然となる。

 結局、2つの宇宙が混在した現在という実在場は偶然と必然が一体化した出来事により構築されていることになる。

 偶然と必然が一体化した言葉こそが「自然」であり、物事は自然に起きるのである。

2002.10.11

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