Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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社会学的相対論
 人間は動き回るが、石や木は動かない。だがこの2つの運動は相対的である。

 それは地球の運動において天動説をとるか、地動説をとるかの相対性と同様である。地球を基準にすれば天が動くとなり、天を基準とすれば地球が動くとなる。同様に人間を基準とすれば石や木が動くとなり、石や木を基準にすれば人間が動くとなる。

 普通、我々の認識は人間が動き回り、石や木は動かないという意識構造をもっている。地動説の構造である。このため人は朝起きると今日は何処へ行こうと考え、車を走らせることになる。この意識構造は日本狭し、世界狭しの認識を構築する。アメリカに行かなければ、フランスに行かなければと心中多忙をきわめることになる。

 しかし、天動説をとる人からすれば人間は動き回る必要がない。人間の回りに存在する石や木、万物事象が必要に応じて動き回ってくれるからである。それは「アトランタに生まれアトランタに死す」という「風とともに去りぬ」の著者で有名なマーガレット・ミッチェルの生き方である。アトランタに静止していたミッチェルにとっては全ての宇宙万物事象がむこうから来たりて、また去って行ったのである。

 一般に、会社の営業マンは動き回るのが仕事であるが、あまりに動き回ったのではせっかくのお客さんからの注文電話にでることができない。動き回らずにいつも会社にいる営業マンはお客からすれば常に会社に行くか、電話をすれば出会うことができる。有能な営業マンはこの自分とお客様との相対性を常に考慮している。

 しかし、現在進行する情報化社会は携帯電話を、ネットコンピュータを生み出した。これからの相対性は今までとは大分異なったものとなるであろう。このような相対性を考えることこそが情報化時代の核心である。

 今後は天動説的な社会が構築されていくであろう。人間は動き回らずとも、この地球上で運動する万物事象を衛星放送テレビで、インターネットで知ることが可能である。やがて、買い物も家にいながらできるであろうし、仕事も会社に行かずとも自宅でできるであろう。テレビ電話が普及すれば海外出張も必要がなくなるであろう。

 その時、「我々は石や木と同じ」になる。もしかすると石や木はすでにそのようなことを太古から先刻承知しているのかもしれない。

 戦国武将、武田信玄は「風林火山」を軍の旗印とした。速きこと風のごとし、静かなること林のごとし、侵略すること火のごとし、動かざること山のごとし・・という中国の孫子から採ったものである。その山のごとく「動かない信玄」に、人間ならず草木さえもなびいたのである。信玄にとっては山のように動かないことが実は疾風のごとく戦国の大地を駆けめぐる秘策であったのである。上杉謙信が、織田信長がその動かない山に戦慄し、彼ら自らが駆け回らされたのはこの秘策の効果であろう。

 動かないことは、ときとして実は強力な攻撃となるのである。晴耕雨読で暮らした三国志の英雄、諸葛亮孔明もまた同様に動かずに、戦乱の中国を「天下三分の計」により平定した。

 俗に言う「世に出ようとして出れず」、「物を売ろうとして売れず」、「お金を得ようとして得れず」、「美女に出逢おうとして出逢えず」・・等々は、全て万物事象と人間との相対性の秘密を語っている。

2002.9.13

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