Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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偉大な意識
 この世が意識によって構築されているとするならば、「ひとつの意識」がこの世の重大事を画することが可能となる。この意識を仮に「偉大な意識」と名付ければ、この偉大な意識とはいかに成立可能であろうか・・?

 歴史上において、この偉大な意識は時代に応じてさまざまに発生した。言いかえれば、歴史とはこの偉大な意識が織りなした壮大な叙事詩でもある。

 21世紀を迎えた現在、歴史空間は情報化時代に入ろうとしている。情報化時代とは換言すれば、意識の時代であり、今までの物質社会から意識社会への転換である。

 物質社会の基本要素は、物的な「大きさ」であり、「重さ」であり、遠い近いの「距離」である。この社会での人間の所有とは物的な「量」であり、抱え込む領土や敷地の「広さ」である。ゆえに、今までの人間活動の闘争はこの「物量の争奪戦」であり、「領土の争奪戦」であった。

 しかし、意識社会の基本要素は、今までの物質社会の基本要素であった大きさ、重さ、距離等の要素は意味をもたない。また同様に人間活動の闘争は物量の争奪戦でも、領土の争奪戦でもない。

 意識社会の基本要素は、意識の「広がり」であり、「衝撃」であり、「深さ」である。

 この意識社会での人間の所有とは意識の「質」であり、それを包含する意識の「容量」である。ゆえに、これからの人間活動の闘争はこの「意識の質の争奪戦」であり、この「意識の容量の争奪戦」となる。

 意識の質とは「創造性」、「独創性」、「革新性」などの意識の「多様性」であり、意識の容量とはその多様性を包含する「信念」である。

 つまり、「偉大な意識」とは、この「意識の多様性」と、それを包含する「意識の容量」が、一個の意識の中に結集された状態である。

 今までの物質社会とこれからの意識社会で大きく異なるのは「この一点」である。

 物質社会は「物体的個の集合」で成立していたのであるが、これからは「意識的個の集合」で成立することになる。

2002.9.10

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