Linear 舟の民族、安曇族が辿った遙かなる安曇桃源郷への旅路

安曇古代史仮説/安曇野の点と線
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(一)舟の文化
 筆者は技術研究所を経営しているのであるが、県外の顧客に会社の住所にある安曇という文字を告げるのにいつも苦労する。「あづみ」がなぜに「安曇」になるのかが漢字文化に慣れている日本人をもってしても「ピン」とこないのである。

 安曇野の古代風景を語るには、まず日本民族成立の風景を描写しなければならない。日本文化の根源には「舟の文化」と「馬の文化」のふたつがあると言われる。舟の文化は南方系民族の文化であり、馬の文化は北方系民族の文化である。

 縄文の原住民が狩猟採集生活をする日本に稲作文明を携え南方から舟に乗ってやって来た人々がいる。日本人は「しゃがむ」という習性をもっている。田んぼのあぜ道で隣人と話すにしゃがみ、最近では夜更けの街の歩道で若者がしゃがむ。このしゃがむという習性は西欧や中国にはないものであり、特にインドシナ半島のタイやベトナムの人々に多く見られる。遺伝的視点で考えれば日本にたどり着いた南方系、舟の民族とはこのインドシナのタイやベトナムの人々であったかと思われる。

 この地方は古代より「タオイズム」の精神が伝わってきた風土をもつ。タオイズムはその地で「ヒンズー教」を、中国に伝わり「道教」を、その道教から「密教」を創始することにつながる。タオイズムとは陰陽の2気によって宇宙が構成されているという思想であり、その宇宙は「太極」と呼ばれる。
 ヒンズー教の男女交合神は現代感覚で見れば何と淫靡な像と言うことになるかもしれないがこのタオイズムで見れば、それこそが宇宙の姿なのである。密教の一教典である理趣経は奈良東大寺において毎日あげられるお経であり、この理趣経が男女の交合を述べた内容であることを知る人はあまりいない。

 このタオイズムの精神から考えられる人間像とは争いを好まず平々凡々のんびりと生きる自然人の姿である。住み着いた稲作文明を基とする南方系民族のこの穏やかな文化は「舟の文化」と呼ばれる。

 また話は脇道にそれるが密教を日本で創始した空海こと弘法大師は四国讃岐の人であり、幼名を「真魚(まお)」と言った。空海という名前もそうであるが彼の周りには「海のイメージ」が色濃く漂っている。青年僧空海が道を求めての山野彷徨の途上、奈良橿原にある久米寺で密教の一教典に巡り合う。瞬間に彼は仏法の神髄は密教にありとすべてを悟達したと言われている。後に中国唐の都、長安におもむき当時の密教座主、恵果に対面した彼は即座に伝法灌頂を授けられている。恵果はこの伝法を待っていたかのごとく、その後まもなくして静かに黄泉に旅立った。この時をもって密教の法灯は中国から日本に渡ったのである。
 これらの経過から素直に考えられることは空海自身がインドシナから密教の源流タオイズムの精神を背負って日本に渡ってきた舟の民族の末裔ではなかったかという推理である。
 また讃岐にある金比羅宮は日本では珍しく舟を祀った宮寺である。舟の民族は気候温暖な瀬戸内の讃岐に多く住み着いたということであろうか。
柳沢 健 2002.02.09

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